今回のプログラムについて、指揮者としての立場からのご意見や、これまでの関わって頂いたハイメス・オーケストラとの印象深いエピソード、シベリウスのスペシャリストとして、本年迎えている「シベリウス生誕150年」への 思いについて、お話を伺いました。
-この度のプログラムにつきまして、指揮者のお立場からのご意見をいただけるでしょうか。
新田ユリ氏(以下、新田):今年のプログラムは多岐にわたっています。1756年に生まれたモーツァルトから1971年に亡くなったストラヴィンスキーまで。200年にわたる時間をすぐれた芸術音楽でたどります。最近思うのです。今の時代に生きている音楽家は何をするべきなのか。何のために300年前の作品から今できたばかりの作品まで演奏し続けているのか・・。作品に潜むメッセージを、今の世の中に解き放つため。それに尽きるのだと思っています。それは必ずしも楽しい言葉だけではない。作曲家がその作品を世の中に送り出したとき、その時代の中で魂の言葉がある。その時を超えた音の紬が、今の世の中に人があり、人がなすべきことの意味を教えてくれる。だから芸術音楽は長く生きる。作曲家への敬意は年を重ねて深まるばかりです。 シベリウスの「カレリア序曲(1893年)」、今年生誕150年を迎えた作曲家の若い時代のものです。フィンランドの歴史が語られる劇音楽の序曲。ロシアの自治大公国であった祖国が動き始めた時代の作品。モーツァルトの「フルートとハープのための協奏曲(1778年)」は典雅な響きの中に人類が見つけた美というものが凝縮されていると感じます。そしてR.シュトラウスの「4つの歌作品27(1894年)」より2曲。これは作曲者が結婚を機会につくられたもの。その美しい調べには人を想う祈りの姿とある種の畏れが感じられます。もう1曲「ブルレスケ(1886年)」、この作品を作曲者本人はあまり気に入っていなかったという説があります。若書きの作品ですが後の管弦楽作品の芽があちらこちらに見つけられます。そしてストラヴィンスキー「火の鳥1919年版」精緻なスコアと管弦楽法の妙技で、題材を普遍的で近未来を思わせる作品へと昇華させていると感じます。4人の作曲家の溢れる才をとことん描きつくしたいと思います。そしてハイメスのソリストの皆さんとの音の会話を心待ちにしています。
-これまでの関わって頂いたハイメス・オーケストラとの印象深いエピソードを伺わせて下さい。
新田:いつのまにかハイメスの皆さんとのお付き合いが長くなりました。このハイメス・オーケストラの運営形態に変わってから今年で4回目、それ以前の道民ワークショップオーケストラとして2009年から連続してご一緒しています。今年でトータルで7回目。毎年こだわりのあるプログラミングが登場します。いずれの回も忘れがたい演奏です。初共演がシベリウスづくしであったことは嬉しかったのですが、自分の師匠が音楽監督を務めていらした札響のメンバーの皆さんが、コンサートマスターはじめ、各トップにいらっしゃるオーケストラです。やはり初回が最も緊張しましたが、大平コンマスの大きなリードに支えられました。2010年に「エグモント」全曲の機会がありましたが、これは貴重な機会でした。2011年のマーラー「交響詩巨人ハンブルク稿」は、楽譜に問題が多くチェックが大変でしたが、これは非常に良い勉強でした。感謝しています。ハイメス・オーケストラに変わった2012年には多くのソリストの魅力的な皆さんとご一緒しました。そしてシベリウスの「交響曲第2番」で充実の響きを経験しました。2013年のワーグナー&ヴェルディメモリアルの年は、私自身ご縁が遠のいているオペラの世界に再び飛び込んだ年でした。そして昨年2014年は忘れられない年。ハイメスを長きにわたり支え、そして演奏にも参加された副理事長竹津宜男さんの急逝。トゥオニの国に竹津さんの魂を想うような「トゥオネラの白鳥」に始まり、大平まゆみさんのソロによるシベリウスの「ヴァイオリン協奏曲」も祈りに充ちていました。後半のチャイコフスキー「交響曲第4番」では、この厳しく哀しい運命に対峙する気持ちでタクトを持ち、最後は天国の竹津さんに安心していただけるように全員で輝かしい響きをもって終演したこと、昨日のように記憶しています。 ハイメスのコンサートは、必ずソリストの方との共演があります。そのことは私にとって宝の時間となります。音楽家の皆さんと楽譜を挟んで向き合うこと、自分の中になかった引き出しを開けていただけること、またソリストの方の中に新たな宝を見つけられること、すべてがかけがえのない時間です。
7年間の中で、はじめは芸術の森をリハーサルに使用しましたが、あとは札幌駅の北側を拠点としています。すっかりそこがハイメスオケの集うところという場所になっています。 今年も三日間のリハーサルの中、演奏者の皆様と充実の時が生まれることと思います。
-シベリウスのスペシャリストとして、本年迎えている「シベリウス生誕150年」への思いをお願いいたします。
新田:北欧音楽を集中的に勉強するようになって、20年余りが経過しました。2007年のシベリウス没後50年の時も様々な特別な機会をいただきましたが、今年の生誕150年はシベリウスと同い年のデンマークのニルセンとあわせて二人の北欧の巨匠に関わる機会を、本当に多くいただいています。演奏することはもちろんなのですが、「書く」「話す」ことが非常に多い年となっています。お陰様で資料調査や文献講読が続きます。そこから見えてくることは、「シベリウスは新しい人なのだ」ということです。19世紀から20世紀にかけて、91年の年月を生き抜いた人です。祖国が独立に向かう時代の真ん中を生き、二つの大戦を経験し、クラシック音楽の近現代の流れを目の当たりにし、そして自分の作曲の道を模索し最後は沈黙した。その歩みの中に、人間として何を大切にし、何を後世に遺したかったのかというメッセージがとても強く感じられるのです。実生活同様、楽譜の上でも寡黙な人です。音符は少なく、静寂の中に多くを語った人です。その一つ一つの音の中に、未来の人類への警鐘や、夢が託されていると感じます。そのことを私自身頂いた機会の中で、音として、言葉として、文字として紐解いてゆきたいと思っています。 その一つの仕事として、「ポホヨラの調べ」という本を今年の4月に出版させていただきました。五月書房さんから3年前に打診があり、2015年を目指して書いてほしいという依頼の中、決して十分な曲数ではありませんが、シベリウスを中心として作品について演奏家の立場から書かせていただきました。正直のところ演奏活動と並行しての執筆は、なかなか難しいもので力及ばずこれだけの曲数となりましたが、継続しての北欧音楽リサーチの結果は、またいずれ残してゆきたいと思います。シベリウスという唯一無二の音の言葉を大切に紡いでゆきます。