第30回ハイメスコンクール<管・弦・打楽器部門>にて第1位に入賞された大久保陽子さんは、2019年秋からフランス・パリへ留学しています。コロナ禍、特別な経験を積み多くのことを現地で感じながら過ごす大久保さんの今についてインタビューさせていただきました。
オンラインインタビュー実施 2021年4月28日(水)
インタビュアー 広報委員会 委員長 駒ヶ嶺ゆかり
撮影・記録 広報委員会 副委員長 立花雅和、事務局(立花)
留学への経緯、パリを選んだ理由などお聞かせください。
ハイメスコンクールを受ける前からヨーロッパに留学することに漠然と希望をもっていましたが、具体的に留学先を考え始めたのは2018年3月に開催されたハイメスコンクールで受賞してからで、それをきっかけに先生を探し始めました。それまでヨーロッパで教えている先生のレッスンを受けたことがなかったので、自分の先輩でありハイメスコンクールの第1位受賞者でもある福井遥香さんに相談をしました。福井さんは既にパリに留学されていて、そこで知り合ったパトリック・メッシーナ先生を勧めてくださいました。先生のレッスンをどこかで受けられないか探していたところ、島根で毎夏開催されている石見銀山国際音楽アカデミーという講習会をインターネットで見つけ、日本で開催されるならぜひ行ってみようと思い2018年の8月に行きました。そこでのパトリックのレッスンは、情熱的で、人柄も親切で、話していてこの人からもっと学んでみたいとすぐに感じました。その場でパリで習えるか尋ねた時ははっきりした返答は貰えませんでしたが、その後も連絡を取り、彼は私に努力を続けるよういつも励ましてくれて、2019年5月に東京でのマスタークラスがあったので受講しその時にパトリックが門下に受け入れると言ってくれました。彼はパリのエコール・ノルマル音楽院で教えているので、私もそこで学ぼうと決意しました。
留学開始からコロナ流行前まで、どのような勉強をされていましたか?また日常生活について感じたことを教えてください。
受け入れが決まる少し前の2月頃から留学開始までは、札幌でフリーランスの仕事を続けながら語学の準備やビザの手続きをして過ごしました。渡仏したのは9月頭でしたが、エコール・ノルマル音楽院は10月始まりなのでそれまでの1ヶ月間は語学学校に通ったり、観光をしたりなど、生活に慣れる期間と思い過ごしていました。私が居住しているパリ国際大学都市という場所は、広大な敷地の中に40棟ほどの国の名前がついた寮があり、主にその国からの留学生や研究者を受け入れています。その中で私は日本館からの派遣居住者として選ばれてたまたまブラジル館に住むことになり、そこで既に1年半以上過ごしました。この館は建築家の巨匠、コルビュジェによる作品で、見学に来る人が毎日のようにいるとても素敵な建物です。居住者は8割ほどがブラジル人で、日本人は私と違う階にもう一人いるだけなのでほとんど日本語なしで生活しています。苦労もありますが、毎日必ずフランス語か英語を話して生活できるのですぐ話すことに抵抗がなくなりました。今ではブラジルの第一言語であるポルトガル語の簡単なフレーズも覚えています。日々の食事は共用のキッチンで自炊をするか、国際大学都市内にある学食で買っています。現在はフランスの対コロナ政策の一環で、全ての学生が1ユーロで、サラダと主菜、小さなデザートとパンが買えるのでとても助かっています(通常は3.3ユーロ)。
パトリックは毎年門下生を7.8人しかとりませんが、今年度は自分を含めた日本人3名、韓国人1名、イタリア人2名、アメリカ人1名と国際色が豊かです。学校は私立の音楽院で、ほとんどフランス人はいません。
コロナ流行前までは、2019年末に交通機関の大規模なストライキがありましたが、学校生活はあまり問題なく、皆で聴講しあったり一緒に基礎練習をしたり、演奏会にもよく足を運び充実していました。バスティーユのオペラ座で『蝶々夫人』を見に行きました。特にオーケストラの演奏会にはよく行き、パリ管弦楽団や、パトリックが務めているフランス国立管弦楽団も何度も聴きに行きました。半年前くらいから現在まで何も演奏会はありません。ヨーロッパはオンライン配信の取り組みが以前から充実していますが、早く生で聴きたいという強い思いがあります。
コロナ流行後、最初のロックダウンの間、2020年の3月から1カ月半だけ一時帰国しましたが、それ以降はずっとフランスにいます。帰国中はオンラインで学校のレッスンが継続できたので日本からレッスンを受けました。ロックダウン中は自分と同じように自国へ帰る友達もいましたし、滞在期間などの関係でパリに留まっていた人もいました。ワクチンはについてはフランスはヨーロッパの中では少し遅れていましたが、50歳以下の健康な人への接種も始まったところで私も早く受けに行こうと思っています。
現在のコロナ禍の留学生活について、日常生活、演奏活動への影響 演奏会の現状を教えてください。
最初のロックダウンが終わりフランスに戻ってから、音楽学校の対面レッスンは許されているので今現在も問題なく受講できていて、それだけが心の支えだと感じます。感染対策については学校側からの指導もあり、以前のように皆で聴講しあうことはできません。広い部屋であれば自分の前後の人のレッスンを聴講はできますが、そうでなければ人が集まり留まることは難しい状況です。私はクラリネットのレッスンしかとっていませんが、学内のレッスン以外の講義はオンラインで実施されていると聞いています。
一年前はフランスの方々はマスク着用に抵抗があったようですが、今は義務化されていることもありほとんどの人がマスクをして過ごしており、学校内でも学生は常にマスクを着用しています。
美術館もカフェもレストランもバーもブティックもずーっと閉まっているので、とても寂しいです。スーパーや薬局は開いています。ブティックの中ではオンライン上で予約してお店に取りに行くということはできます。秋の2回目のロックダウンまでの間は美術館もカフェも開いていましたが、それ以降はなにもありません。友人と外にお散歩に出かけても、一休みするところがなく、カフェが開いていないのでトイレに行けず困ることがよくあります。※公衆トイレはほとんど設置されていない。
教会や宗教施設は礼拝のために開ける許可がでているので、ソーシャルディスタンスを保って使用ができます。
今月からやっと文化施設や劇場が開く予定なので、本当に楽しみです。
お家時間が増えたので料理を楽しむようにしています。フランスで気に入っていることは、マルシェで新鮮な野菜や果物が安く買えること、バターがとても美味しいことです。
コロナ禍以前から、アジア人差別に関連した事件の情報や話を聞きますが、幸いにも自分が暴力的な被害を受けたことはありません。しかし差別する人の存在は感じますし、差別的な雰囲気で話しかけられることはあります。こちらでは狙われないように少し怒った顔をしながら歩くようにしています。
今後について、残りの留学期間、留学後の計画、現段階で何かご予定はありますか?
年度末(5-6月)に試験があるので今はそれに向けて取り組んでいます。秋に行われるクラリネットの国際コンクールの一次予選の結果待ちです。それが通れば10月にルーアン市で二次予選を受験します。今の学校ではもう1年か2年か、もう少しここでパトリックと勉強したいと思っています。在学しながらオーケストラのオーディションなどあれば受けていこうと思っています。完全帰国は今のところは決めておらず、とりあえずこちらで頑張れるだけ頑張ろうと思っています。
特別な経験をしている中、音楽を学ぶ事をどのように感じていますか?
今はロックダウンという状況の中で、日々当たり前にあった楽しみがかなり削がれています。人と会って話しをしたり食事をしたり、当たり前にあったことがなくなると、ますます音楽のコミュニケーション手段としての価値を強く感じます。一度だけ、1回目と2回目とロックダウンの合間に、数ヶ月ぶりに弦楽合奏を聞き本当に感動しました。もちろん財政面など色々なことを考えれば、音楽や芸術分野が必需品でないという扱いになることは仕方ないというのもわかりますが、自分の中ではなくてはならない存在ということを感じられたとても良い機会でした。演奏の機会を取り戻せたら、音楽の価値をより多く届けられる演奏をしたいです。
これから留学を志す方や若い音楽家へのメッセージをお願いします。
今は状況的に特別ハードルが高いこともあると思います。もちろん、普段と比べて上手くいかないことはたくさんありますが、それは今、世界中どこも同じです。それでももし、その国に身を置いてみたい、その先生と学んでみたいという強い思いがあるのであれば、日本を出て学ぶ意味はいつでも変わらないと私は思っています。本人の姿勢次第で吸収できることがたくさんあると思います。ぼんやりとした不安で先送りにしてせっかくの機会を諦めてしまうのはもったいないと思います。
大久保さんには今後もオンラインでフランスの留学生活や日常についてインタビューをさせていただく予定です。次回は秋頃にまたお話しを伺います!
≪プロフィール≫ 札幌市出身のクラリネット奏者。北海道教育大学岩見沢校芸術課程音楽コースを卒業後、フリーランス奏者として数年間ソロ、室内楽、オーケストラなど様々なシーンで活動したのち2019年秋に渡仏。現在はパリのエコール・ノルマル音楽院に在学し、国際的奏者であるパトリック・メッシーナ氏の元で研鑽を積む。平成26年度札幌市民芸術祭新人音楽会に出演。第30回ハイメスコンクール管弦打部門第1位。ハイメスアーティスト、札幌音楽家協議会、各会員。