インタビュー実施 2014年11月26日(水)北海道庁別館
コーディネーター:駒ヶ嶺ゆかり
広報委員:立花雅和 森吉亮江
陪席:西村善信副理事長 西村公男事務局長
HIECC(ハイエック)の成り立ちについて
1.北方圏構想と北方圏センターの設立
昭和46年、北海道開発の長期的指針として「北方圏構想」が盛り込まれた。北海道と似た積雪寒冷の気候風土の中で、高い文化を培ってきた北米・カナダ・北欧諸国との交流を通じ、北海道の産業経済・生活・文化向上を図り、北国の風土に根ざした北海道らしい地域づくりの推進を目指すものとして『北方圏センター』が設立された。その後47年、社団法人としての認可を受け、51年には『北方圏情報センター』を併設。その結果、53年に『社団法人北方圏センター』が発足し、以来、北方圏交流を主軸とした国際交流団体として事業を展開し、同年、『財団法人北方圏交流基金』を設立し、主に民間の北方圏交流基金を支援してきた。
2.国際交流・協力活動の拡大化
1990年代以降、グローバル化が急速に進展し、国際社会の相互依存関係が一層強まると共に、国際協力への期待が高まっていった。『北方圏センター』は北方圏地域との交流を継続しながらも、平成7年、北方圏以外の地域に対しての活動範囲拡大を図った。それを受け、平成8年、JICA(国際協力機構)が『国際センター』を設置、管理運営業務を受託。平成10年には、地域国際化協会に認定され、北海道の国際交流・協力の総合的かつ中核的役割を担う事となった。
3.国際活動の総合的拠点として
平成20年に『北方圏センター』は設立30周年を迎えた。この節目に今後の方向性を検討し、北海道における国際活動の総合的拠点と位置付ける事となった。平成22年、『北方圏交流基金』を『国際交流基金』と名称変更し、これまで北方圏に限定していた助成対象地域を全世界へと広げた。
4.公益社団法人への移行
平成23年、北海道知事からの認定を受け、公益社団法人に移行した。同時に『社団法人 北方圏センター』を『公益社団法人 北海道交際交流・協力総合センター』に改称し、『HIECC(ハイエック)』の略称で新たなスタートを切った。現在は、公益社団法人として社会的責任を果たしつつ、世界各国との国際交流・協力活動を通じ、豊かで活気のある地域社会の実現を目指し、積極的に事業を展開している。
高橋了氏(以下、高橋):ハイエックは、社団法人北方圏センターを前身とする団体で、(社団法人になったのは昭和53年)昨年創立35周年を迎えました。当時、堂垣内知事が北の国の優れた文化や生活を学んで北海道を豊かな地域社会にしていこう、そのためには北の先進国ともおつきあいをしておこうということで、特に北欧のスウェーデン、フィンランド、カナダのアルバータなどと交流を始め、その国際交流推進の受け皿としてこのセンターがつくられました。(このあと、歴史については、ハイエックの歩み:高橋氏寄稿文を参照してくださいとのこと)その後、1990年代以降、グローバル化が急速に進展し、国際社会の依存関係も深まっていくなかで、北方圏に限らず全世界と交流しようということになり、平成7年6月に定款を一部変更し、北方圏以外の地域に対して活動範囲の拡大を図りました。
駒ヶ嶺ゆかり(以下、駒ヶ嶺):ハイメスは創立26周年、ハイエックの弟分ですね。北海道発信の音楽交流を目指し、熱い思いから生まれた北海道国際音楽交流協会(ハイメス)ですが、国際交流のエキスパートであるハイエックにご指導を賜りながら歩んで来たと申しても過言ではありません。「ハイメス創立20周年」の折には、ノボシビルスクとの交流の集大成として、北方圏センターの多大なご尽力を頂きました。その時のエピソードやご苦労話などお聞かせ頂きたいです。
高橋:ハイメス創立20周年の記念国際音楽交流シンポジウムということで助成させて頂き、北方圏の地域同士の今後の更なる音楽文化交流の進展を目的に、長い交流実績のあるノボシビルスク市長ゴルデツキー氏、およびグリンカ音楽院院長のグーレンコ学長など関係者を招聘しました。
駒ヶ嶺:ハイメスからは藤田道子専務理事はじめアーチスト会員がノボシビルスクへ赴き、コンサートやマスタークラスを行い、その後ノボシビルスクのグリンカ音楽院の学長、日本歌曲を学んでいるロシア人学生たちが来日した、というものでした。
高橋:翌々年の、「札幌-ノボシビルスク友好都市提携20周年」では、ハイメスアーチスト会員によるノボシビルスクでの音楽会への助成をさせて頂きました。国立グリンカ音楽院との国際交流をはじめ、記念式典、ロシア文化祭での演奏会において、市民との交流を図ったというものでした。実は・・私は平成21年度に着任したので、20年度の想い出という記憶がないのですが(笑) 2年後の「札幌-ノボシビルスク友好都市20周年」パーティーには出席しました。ノボシビルスクはロシアで、モスクワ、サンクトペテルブルグに次ぐ3番目に大きな都市ということです。想い出というと、私にとっては昔のソビエトが強いです。文学ではトルストイ、チェーホフ、ドストエフスキーにものすごく親しみがあり、日本文学も白樺派の人達が人道主義を唱えるなど大きな影響を受けましたね。音楽に関しては、チャイコフスキーもそうですが、“ともしび”や“赤いサラファン”のようなロシア民謡に身近なものを感じています。ロシアとは、音楽・芸術で非常に近い国、政治的ではとても遠い国、という落差を感じますが、音楽を通して交流するというのは、ロシアとの友好を深めるのに一番良い手段だったと思いますし、有意義なことだと思っています。
駒ヶ嶺:少々さかのぼりますが、以前に北方圏センターとハイメスが関わって、北欧との文化交流をなさいましたね。当時の板垣市長の意向で館野泉さんを音楽監督とし「ノルディックライト」を10年間開催しました。その折にも多大なご尽力を頂きました。私自身は北方圏センターを存じ上げる機会となりましたが、その時のエピソードなど伺えますか?
高橋:北方圏との交流はそういう文化交流も含めて、北海道を豊かにしていこうというのが元々の趣旨ですので、寒い地域の皆さんが南国にあこがれる、というのではなく、寒い国の中では寒い国の中で楽しく、そして心豊かに過ごしている国を学んでいこうと、特に文化交流についてはうちのセンターも熱心でした。
高橋:ハイエックというのは国際交流団体として、当初はとにかく交流することに意義があるということで活動してきましたが、時代も変わり、徐々に実利的な成果思考的な国際交流の傾向が出てきました。国際交流を通しての発展は、突き詰めれば北海道の経済の発展に寄与するものでなければ意味がないと思っています。また、道民もかつての漠然とした総論的な交流ではなく、それが北海道の発展にどうつながるのかを求めてきている時代になってきています。私共は経済団体ではないので、直接的なことはできないのですが、経済を活性化させるためのフォーラムやセミナーをたくさんやってきております。また、もう一つの方向は文化交流でして、これは私共の団体としても一番大事なことだと思いますし、これからの北海道に最も必要なことではないかと思っています。音楽などを通しての交流は、人との和みをすぐ作っていけますし、どんなに知らない国の人とも音楽を介在させることであっという間に仲良くなれるので、その効果は甚大だと思いますし、北海道、札幌を本当の意味での国際化された地域にもっていくには、国際的に通用する高い文化水準にしていかなければならないと思います。ですので、国際文化交流は私共でも第2の柱にもっていっているわけです。ハイメスとは、後援名義や助成金を出させていただいたりする以外に、実は共催事業という形ではまだ実績がないので、実質的なそういう事業も今後是非やっていきたいと強く思っております。経済界との交流に関しては、札幌商工会議所や北海道経済連合会、個々の企業と共催事業をさせて頂いておりまして、特に、学術的な要素を伴う経済交流については、北大や北海学園大や札大の孔子学院などとほとんど共催でやっています。ですので、芸術文化などももっと積極的に共催事業をやっていきたいと思っています。
駒ヶ嶺:有難いお話ですね。ハイエックさんが共催して下さるということになれば、ハイメスの私達も普段の枠、考えから離れて、もっともっと国際交流をしようという発想でなければ助けて頂けないと思うんですね。私たちが外国と直接交流できるプランをもってお願いに上がれるようになればいいと思います。ノボシビルスクはそのいい例ですね。
高橋: たとえば、演奏家をお呼びしてここで演奏会を開く、ハイメスとしてはそこで十分だと思うんですが、私共としては、国際交流団体なので、そのことを通してお互いの地域間交流を、実際に北海道民と触れ合ってもらうということが大切だと思っています。ですので、ぜひハイメスと組んでそういった国際的な芸術交流をやってみたいと思っています。
駒ヶ嶺:ハイメスのこれからの活動に対しまして、アドヴァイスを頂きたいと思います。
高橋: 兼ねてからハイメスに対して思っている事があります。それはハイメスが音楽を通じて北海道の国際交流に大きく貢献されていることへの敬意です。第2に北海道の文化水準の向上、地域文化、国際都市としての魅力アップに寄与していると思います。外国との文化交流の重要な受け皿を担っている点です。第3にはコンクールを開催し、人材育成や発掘を継続して行っていること。この事は感動です。そして第4は芸術を発表する場を提供している。ハイメスは本当に素晴らしいです!
駒ヶ嶺:身に余るお言葉であると同時に、まさに今おっしゃって頂いた事をその理想を掲げて歩んで参りたいハイメスであります。
立花:我々はコンクールを受けた際にはその仕組みや、ご支援をどのように受けていたかは知り得ませんでした。しかし留学から帰国し、ハイメスの企画に関わる立場となった今、大きなご支援を頂いてきたことに気づかされました。なにか恩返しをする事はできないか、と真剣に考えております。なにかアイデアをお持ちでしたら伺わせて下さい。
高橋:ハイメスへの関わりも長くなりました。またハイメスの会員個人とも直接、海外公演や国際交流事業に関わらせて頂いて参りました。国際交流も経済団体・観光団体等がありますが、ハイメスのような文化団体との関わりの中で感じる事は、まさしく人材の財産であると感じます。
ハイメスがこれまで歩んでこれた背景には、個人、法人の多大な協賛があってこそである。その間多くのアーティストがハイメスから誕生し、札幌をはじめ道内外で活躍している。創立25周年という節目を迎え、さらにこの活動を継続発展させるには、支援していただいている協賛企業の文化振興に対する思いをもっと理解する必要があるのではないか。その様な思いが原動力となり、この企業インタビューの企画へとつながった。これからのハイメス、ひいては音楽家の将来へ少なからずヒントになることがあれば幸いである。