第6話 【治安について】

駒ヶ嶺:次は治安について。私達日本にいるとかなり治安ボケしています。衝撃的なことに出会うこともあろうかと思いますが、色々な体験話を聞かせて下さい。

山本:ベルゲンはかなり治安のいい場所だったと思います。友達が1万5千円の入っているお財布を落としても、後できちんと届いていたと言っていました。良心的な人が多いんだと思います。危険だった場面というのは特に思いつきません。

駒ヶ嶺:夜は女の子が一人で歩くということはありませんね?

山本:街中は結構若い子が夜まで歩いていました。特に週末は。

駒ヶ嶺:でも複数ですよね?女の子が一人ということはないでしょう?

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山本:そうかもしれないですね。公園の植込みに注射器が落ちていたことがありましたが、首都オスロと比べるとはるかに治安は良いと思います。浮浪者のような人もほとんどいません。何度か夜中に大学から寮まで歩いて帰ったことがありましたが、特に危険な目には会いませんでした。

駒ヶ嶺:さてドイツはどうでしょう。

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横路:夜中ウロウロしてたこともありますが、私の町は田舎だったので、特になかったです。旧東ドイツの町には行ってはいけないという所がありました。私はベルリンとロストックでしか生活してないのでなんとも言えません。友人がイタリアに行った際、電車で楽器を上に置こうとし荷物に気を取られている間に、警官の格好をしてた人に全部持ってかれたとか。海外に慣れてる人でもそうでしたおで車中も危険だと知りました。しかし比較的ドイツでは危険な話は聞かないですね。

駒ヶ嶺:なるほど。しかし恐らく現地には行ってはいけない所が絶対あると思いますが、横路さんは危険に遭遇しない生活をされていたのですね。さてニューヨークは?

高橋:治安は良く安全ですね、私は怖いところには行かなかったので。

駒ヶ嶺:高級住宅街に住んでいらっしゃったから・・

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高橋:メトロポリタン歌劇場から5分くらいの所に先生が住んでいたので、オペラ終演後の11時近くなっても、全速力で走って帰れば大丈夫でした。しかしカーネギーホールの裏の有名な楽譜屋で、大量にオペラスコアを買い込んだ時、店員が「僕はもう仕事が上がりだから、駅まで半分持ってあげるよ」と言われ、その親切に甘え、地下鉄までいく途中、急に無理矢理家に連れて行かれそうになりました。即座に楽譜を取り返し一目散に逃げ帰りましたが、それは一番怖かった経験です。地下鉄は夜10時半くらいまでは1人で乗ったことありますが、それ以降の深夜はとても怖いので乗れません。

駒ヶ嶺:ニューヨークの地下鉄はとても怖いっていうイメージがありますね。その危機感が大事ですね。

高橋:地下鉄は24時間なので、ホームレスもいます。日中でも「お金くれ〜っ」ていきなり来ます。最近では随分平気になりました。

駒ヶ嶺:隙を見せてはいけません。他にヨーロッパでの恐ろしい話ありますか?

立花:大体地下鉄の乗換えが長い所は危ないです。僕が直接あったわけではないんですけど、空港からパリに入る列車が、深夜で各駅停車しかなく、危ないところを通って町に入ります。僕の正面に座ってた友達にある人が片側から話しかけてきて、そっちに振り向いた瞬間に、逆側からもう一人来て、その友達のバッグを奪いそうになったということがありましたね。僕自身の怖い経験は深夜、バスを待っていた時、離れた場所で「あいつ中国人だ」と言って、銃みたいなものを突きつけられたことがありました。距離がありましたが、今思い出しても背筋が凍りました。幸い何もありませんでした。

駒ヶ嶺:ご無事で良かったです。最初に入国する際、大きなトランクを持って空港に着きます。その時、現地の知り合いの方に迎えに来てもらう事は、可能であれば必要ではないでしょうか。慣れていないならば、初日だけでも迎えに来てもらう事をお薦めします。

立花:そうですね、あとは直通の交通機関を使う。列車でも各駅停車と快速があるんですよ。パリの場合はバスがあって、それは空港からパリの中心まで止まらないんです。

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駒ヶ嶺:実は私はチェコで、空港からホテルに行く途中でスリ集団に囲まれました。地下鉄に乗った瞬間に襲われると直感し、乗車口をとっさに変えたのですが、スリ集団9人も物凄い勢いで一緒についてきました。ガラガラの車内で私の周りだけがなぜかラッシュ。必死にその人間バリアを破り床に倒れ込んだ私を残し、次の駅で彼らは"仕事をせず"に降りていきました。行き慣れた国の交通機関を使うのとは訳が違いました。最初の空港でいやな思いをしスタートするのは残念です。さてベルギーは如何でしたでしょうか?

森吉:結構怖いところでした。私がいたブリュッセルには世界遺産もあり、世界中から観光客もスリもきます。だから色々起きるんですよ。

駒ヶ嶺:スリの出稼ぎですよね。

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森吉:スリは普通にいて、歩いていても分かります。だけど、学生みたいに住み慣れ?ヤくと、変な言い方ですが、だんだんみすぼらしい?格好になっていくので、観光客じゃないということがわかる訳です。カメラやブランド品とも無縁ですし。そうなると、ある意味安全です。また、気をつけなければならない地域というのもあり、もしそこへ行ってなにかあっても、行ったあなたが悪い、となります。たとえそういうところに行かなくても日本のように安全ではなく、友人達の被害談もしょっちゅう聞いていました。「自分の身は自分で守るものだ」という意識を皆持って生活していました。日本ほど平和な国は無いかも、とつくづく思いましたね。

駒ヶ嶺:みすぼらしい格好こそ身を守る・・・

森吉:なんというか、難しいのですけど、学生らしい格好というか・・

駒ヶ嶺:日本で着ているものが気恥ずかしくなるものもありますね。お洒落の仕方が日本と違うのかもしれません。それは周りを見ながら気をつけた方が安心かもしれませんね。治安の問題でした。

第7話 【レッスンのスタイル】

駒ヶ嶺:さて、次はレッスンのスタイルについて伺いたいと思います。具体的なお話頂けますか。山本さんからお願いします。

山本:レッスンは、週一回の個人レッスンと、フェレスティーメという門下生の集団レッスンのようなものがありました。

駒ヶ嶺:ゼミのようなスタイルですか?

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山本:ゼミと言っていいかもしれません、アンサンブルのレッスンやリードの調整について外部から講師の人を招いていました。あとは吹奏楽の課外活動の様な形のものと、オーケストラスタディの授業がありました。

駒ヶ嶺:その際の言葉は英語ですか。それともノルウェー語ですか。

山本:個人レッスンの一対一のときはさすがに英語で話してくれるんですけれども、ノルウェー人の門下生がいた場合は、ノルウェー語になっていましたね。

駒ヶ嶺:学校に入られ個人レッスン以外に、アンサンブルや専門的な楽器の授業を受けられたのですね。

山本:はい。

駒ヶ嶺:横路さん、ピアノのレッスンは如何でしたか?

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横路:とても特殊だったと思います。私の学校の先生達がロストックに住んでおらず、次のレッスン日はその都度決めていました。つまり受けたくなかったら受けたくないと言えば良いし、もうちょっと入れて欲しいと言えば入れてくれました。本当に自分次第でした。あともう一つ特徴的だったのが、3人教授と数人の講師がおられ、大抵の学生は教授と講師、若しくは教授二人についていました。

駒ヶ嶺:複数の先生にみて頂く事が当たり前なのですね。

横路:それが特徴的なことでした。私も最初教授一人と講師一人でしたが、ある時先生が半年休むことになり、私はその期間、他の教授二人についてみたり、先生が戻ってきてからは、もう一人の教授とメインの先生についたり、または自分の演奏を他の先生に聞いて頂く事も可能でした。教授同士、生徒の事でコンタクトがよく取れていていました。

駒ヶ嶺:ディプロマ試験や卒業試験で特徴的なことはありましたか?

横路:ピアノ科の試験はリサイタル形式でした。日本の大学の卒業レベルに当たる試験は、60分を2回だったと思います。

駒ヶ嶺:一晩以上のプログラムですね。

横路:楽器によっても違います。室内楽科は90分を2回、1ヶ月以内に、と。ピアノ科では歌曲伴奏も必修でした。それは私にとってとてもよかったです。

駒ヶ嶺:やはりドイツも歌の国ですから、ピアニストも歌と関ることを学生時代から義務付けられるくらい、ドイツリートを大切にしているのですね。

横路:はい。

駒ヶ嶺:またイタリアでは当然オペラ歌手を育てるシステムが、日本よりも歴史がありますね。大平さんはイタリアで演技なども含めて勉強されたいとのことですよね。さて声楽に関しまして、今回はアメリカでのプライベートレッスンを受けられた高橋さんに伺いましょう。

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高橋:私はニューヨークへ行く前に先生と契約をしました、週2回、先生のご自宅でレッスンがあり、1回1時間。歌曲と発声を組み合わせたレッスンと、ヴォイストレーニングを40分、声を鍛えるためのレッスンでした。その間にジュリアード音楽院の先生お二人に月に2回ずつ、音楽院内で個人レッスンを受けました。一人はディクションの先生。歌唱のための言葉、口の使い方、発音が中心です。メトロポリタン歌劇場で仕事をしている方で大変素晴らしいレッスンでした。もう一人はコレペティと言いアメリカではコーチングと言いますが、オペラの内容、歌唱法よりか解釈が中心のものでした。その他にはマネス音楽院の先生に発声を習いました。一緒に暮らしていた先生からヴォイストレーニングの指導頂きましたが、彼女はソプラノスピントで、私の声は軽いので、同質の声の先生に1回だけ習いました。この点ではお世話になった先生には大変失礼をしましたが、大枚叩いて勉強しに行きましたので、どうしても自分のやりたいことは全部やりたいと思いました。また勉強したい気持ちが真剣なら紹介すると、お友達が助けてくれました。普通は簡単に紹介しないんだけどねっと。とてもラッキーでした。友人には感謝しています。

駒ヶ嶺:歌の場合も複数の先生を持つのは当然と思います。発声専門の先生、コレペティ、ディクションの先生と、3人4人の先生が、一人の歌手をコントロールしていく。特にヨーロッパであれば当たり前で、学生時代から発声だけでも分類して習えるのでしょう。高橋さんの場合はご自分で全て計画されたのですか?

高橋:そうです。最初は一緒に住んでいた先生のみでしたが、滞在して一週間後には、「この限られた期間で勉強しないともうこの先無いんです、もう30歳なんですっ」て先生に言って。今思えば30歳なんてまだ若かったかなぁと思いますが、その時はそういう気持ちがあり、熱意を持って拙い英語で伝えましたら「OK。分ったよ、じゃあこの人とこの人を紹介してあげる」と言って頂き、レッスン代も先生のご配慮で安くして下さいました。海外では特に自分から積極的に行かないとチャンスをやってこないと思いました。



⇒ 第8話 【留学に向けて・希望者から】へ続く