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第1回 ハイメス留学劇場
平成21年10月27日(火) 札幌市民ホール2階 第6会議室
(体験者) 後藤ちしを 立花雅和 二田浩衣 (体験者・広報委員) 石田敏明 森吉亮江
(コーディネーター)駒ヶ嶺ゆかり (陪席) 藤田専務理事 西村事務局長
第1話 【登場人物紹介】
司会(駒ヶ嶺ゆかり):お忙しいところお集まり下さり、誠に有難うございます。「これから留学を志すハイメス会員への情報提供」という趣旨で、ご経験のある皆様からお話を伺って参りたいと思います。よろしくお願い申し上げます。では、ご専門分野と留学先について自己紹介を兼ねて森吉さんからお願いします。
森吉亮江:私は1999年から2005年までブリュッセル王立音楽院でピアノと室内楽を学ばせて頂きました。
立花雅和:僕の専門はフルートで、2001年から2005年まで、パリのエコールノルマル音楽院で学びました。大学を卒業した後、すぐ準備に入り2001年の9月から2006年8月まで留学しました。
後藤ちしを:声楽です。オーストリア・ウィーンと、イタリア・ミラノに留学させて頂きました。ウィーンは2001年の秋から翌年の夏まで、ハイメスの海外研修として、ウィーン音大の教授に学び、その次はミラノ音楽院で、声楽、スカラ座コレぺティトールとアナリーゼなどを学びました。
二田浩衣:クラリネットです。ハイメスコンクール入賞後、教育大学からの交換留学生として、ノルウェー・ベルゲンにあるグリーグ音楽院に2003年から1年間、その後一旦帰国し、教育大学を卒業後、2005年から2007年までパリで学びました。ベルサイユ音楽院とエコールノルマル音楽院です。
石田敏明:ピアノです。1997年10月の学期から入り、最後の試験を終えたのが、2004年2月。学校はドイツ・ベルリン音楽大学"ハンス・アイスラー"。アイスラーはドイツをはじめヨーロッパでは有名な作曲家で、音大は創立者である彼の名がつけられています。
司会:皆さん有難うございました。それでは次に留学先の国とその学校を選んだ理由を伺わせて下さい。また注意点などございましたらお話下さい。では石田さんからお願いします。
石田:留学は教育大学在学中から考えていました。行き先にはずいぶん迷っていて、最初からベルリンに決めていた訳ではありませんでした。その当時から教育大と親交の深いフィンランドやハンガリーのリスト音楽院も考えていましたが、決め手になったことの一つとして、ベルリン留学経験者、在住者から伺った生の声がありました。いろいろと情報を聞かせていただく中で、ドイツ音楽への興味や音色への共感、そして世界の舞台であるベルリンなら色々な音楽を聴けるのではないか、という期待が明確になって決心することができました。留学前から、本当に沢山の方々にお世話になりました。
司会:留学準備においてご苦労された事はありますか?
石田:そうですね。受験を間近にして、前年まではなかった「語学力証明書」の提出を求められたのには驚きました。それまで語学学校に通っていませんでしたので、提出できる書類がなく、慌てて知人の伝を頼って、札幌在住のドイツ人に「彼は、まもなくレッスンを受けるのに十分なドイツ語力を身につけるだろう」という趣旨の手紙を書いて頂き、何とか切り抜けました。
また事前の情報と、実際に行ってみて違うな、と思うこともありました。教育大大学院を修了してからの留学でしたので、入試に受かれば現地の大学院に入ることができるであろう、という情報を耳にしていました。当初は大学院に行って3年くらいで帰ってこようと心づもりで行きましたが、実際に受けてみたら5年制である学部の3年目に編入するように、とのこと。結局3年間の在学の後Diplomを取り、その後改めて試験を受けて大学院に進むことができました。大学院の修了試験は、リサイタルが2回とプロのオーケストラと協奏曲を弾くことが課題ですが、オーケストラと共演できる学生の数は学期ごとに限られています。いわゆる「オケ待ち」の学生の順番のため、なかなか試験が受けられず、結局、すべて終えられたのは2年の就学期間を延長し、3年を超えてからでした。
二田:大学3年生の頃から、もっと色んなことを勉強したい、外の世界を見てみたい、という気持ちが強くなってきました。
ハイメスコンクールを受けた時は大学の提携先がフィンランドのシベリウス音楽院だけでしたが、私が4年生になった年から新たにノルウェーのグリーグ音楽院との提携が始まりました。ノルウェーに関する情報はほとんどなく、不安な気持ちで一杯でしたが、「新しい道を切り開いていくのは大変だが、その分得るものも多い」という恩師の言葉を受け、ノルウェーに留学することに決めました。
司会:二田さんの留学がきっかけとなって その後のノルウェーへの道が拓かれたのですね。
二田:そうですね。私が交換留学生の第1号でした。
司会:そしてその後、フランスへ行かれたのですね。
二田:ノルウェーでの1年間は本当にあっという間で、まだまだ物足りなさを感じていたので、今後のことを現地の先生に相談したところ、「本場のフランスへ行くのが良かろう」という勧めがあり、今度はフランスに行こうと心に決めました。
司会:最初の留学準備の段階でなにか心配されたことはありましたか?ノルウェーでの言葉の問題とか。
二田:北欧の人々は英語が堪能と聞いていたので、留学前に半年間ほど英語を勉強していきました。現地ではノルウェー語の講座も受けましたが、英語でノルウェー語を学ぶ、という状況は正直辛かったです。最低限の単語や会話を覚えた後は、英語の勉強だけにしぼって、普段も英語で会話していました。
司会:それはよかったですね。では次に後藤さんお願いします。
後藤:私は大学時代、伊、仏、英、独語を勉強していて、大学院はドイツ語で入りました。
大学時代の師は、オペラのほかオラトリオやドイツリートなどの音楽も学んでこられた方で、私自身イタリアオペラのアリアや、ベルカントといった方にも興味はありましたが、当時オラトリオからシューベルト、シュトラウス、モーツァルトなども学んでいまして、幅広く勉強がしたくて結局ウィーンに行くことになりました。師はドイツのオペラハウスでも歌ってきた方でしたが、彼女の勧めがウィーンでした。そこでは主に、元国立歌劇場の歌手だった、ウィーン音楽大学教授のソプラノの先生に声楽指導を受けました。
ハイメスの奨学金を頂いて一生懸命勉強しました。その師も素晴らしい方でもっとついて勉強したかったほどでしたが、翌年、イタリア・ミラノの方の奨学金を得られることにもなって、経済的な理由もあり、大好きな師を離れるのは非常に辛かったですが、イタリアで学びたい事はいくつもありましたし、ミラノ音楽院に在籍することとなりました。
ウィーンは私の留学のスタート地点であり、学ぶことが沢山ある中で、お世話になった方や、人との良い出会いもあったり、何よりもこれから進んでいく為の勇気と、歌うべき者として大切にするべきものを教えて貰いました。更に辛かったのは、その先生が程なく病気で亡くなられてしまって、一時はどうしたらいいのだろうと自失の状態でした。ミラノでは、更にいろいろなところに行って情報を得ては、其々の先生のもとへ訪いて行った中で自分なりの勉強を見つけていきました。コンクール、オーディションに挑戦していきました。その中で人と人との繋がりを作っていきました。その様な中でウィーンは、やはり海外で活動するにあたって一番初めに勇気をいただいた留学国です。
司会:二田さんも後藤さんもます飛び込んだ国があり、そこから更に世界が広がったということでしたね。期間は短くても最初に訪れた国が人生の扉を開いたという、良いお話でした。
二田:私のノルウェーの先生も亡くなられました。フランスへ留学するきっかけを作ってくださった、とても大好きで尊敬している先生だったのに…私がフランスへ行く直前に。
司会:そうでしたか。外国人としてはじめての出会いが、お二人の人生に大きく拘わるものだったわけですね。これからもこの世界でご活躍されることを、恩師たちは望んでおられる事でしょう。立花さんの場合はいかがでしたか?
立花:皆さんの話を聞いていると、僕の場合はそんな立派な理由はなかったので、気がひけてしまいます。留学については高校生の頃からできればいいなと漠然と考えていたけれど、やはりするべきだ、と思うようになったのは、大学に入ってプロの先生についてからです。その先生は、ドイツ留学経験者。そのせいで、第2外国語はドイツを取りました。でも、二、三年いろんな音楽を勉強していくうちにフランスの小品にいいものが多く、すごく好きになってこれならドイツでなくてフランスだな、と思うようになって気持ちがフランスに向いていきました。で、ためしにフランス行って勉強しようと夏季の講習会に参加し、そこでC. ラルデさんの指導を受けました。今はかなりの高齢ですが、まだお元気です。そこで気持ちが固まっていきました。最初の目的はフランス音楽の勉強したいから、でした。しかし今皆さんのお話と共通するところとして、やはり留学する目的が変わっていきました。留学先の先生は、ラルデ先生でなく別の若いフランス人、ジャン・フェランディさんという方でした。人間的にも素晴らしい方で、音楽を通して、生き方を教わっていくという方に変わって行ったと、今思い返しています。
司会:素晴らしいお話。留学先を考える時は先生や心惹かれる音楽がきっかけになったとしても、今お話を伺って、実際の留学がはじまってからこそ、様々な展開があり、お一人お一人全く違うという事が分かりました。では森吉さん。
森吉:私の留学の直接のキッカケはハイメスコンクールでした。大学2年の時に留学を考えた時期があり、フランス音楽が好きだったのでフランス行きも念頭に夏期講習に参加してみましたが、当時、世界のことがよくわからなくてフランス人が理解できず、ちょっと幻滅して廃案に。卒業する頃には音楽の方向に進むこと自体に迷いウロウロしていましたが、卒業後、仕事をしていた時にたまたま地元の先生から勧められたハイメスコンクールで1位を頂いたことから留学する運びとなりました。しかし、その時まだ行き先も何も考えておらず、その後、私がフランス音楽を勉強したがっていることを知る私の先生が、"せめてフランス語圏で"という私の希望を元に、お知り合いを次々辿って辿りついた方を紹介して下さり、それがたまたまベルギーの先生だったんです。バタバタと留学に至り、ビザの申請をしたこともなくパスポートの期限も切れていた私は、それらの手続きに1か月以上も掛かるということも知らず、先に航空券を購入してしまったのですが、大使館に粘ってフライト前日にギリギリ発行して頂いたビザを持って飛びました。
ところで先程、石田さんのお話にもありました入学条件ですが、既に一度大学院をピアノ科で修了している人は、ベルギーでは同科で大学院に入れないんです。私は学部卒だったので大学院のピアノ科に入学し、後に室内楽科に進学しました。
司会:私もビサを手にしたのが一週間前、その間に「吉本興業」へのお誘いも受け大変迷いました。
というわけで、本日お話を伺った5名の方からそれぞれの貴重なお話を伺うことが出来ました。そこには運命的出逢いもあり、ドラマがあったという事でしたね。
第一話 《登場人物紹介》お楽しみ頂けましたでしょうか。
5名の方それぞれの留学先、留学のきっかけ そしてご専門など、自己紹介の形でお話頂きましたが、ドラマを感じさせるエッセンスが随所にありましたね。さて、つづく第二話、【そして、留学生活】では、更に踏み込んだお話が伺えそうです。お楽しみに!